J.S.A.認定ソムリエ・エクセレンス
A.S.I.認定国際ソムリエ
WSET ® Diploma(Level4)
WSET ® Internal Assessor/Certified Educator
Court de Master Sommelier Certified
米国ワインエデュケータ協会認定CWE
SAKE Diploma International
2008年 オーストリアコンクール優勝
2010年 WSET®スカラシップ受賞
2016年 J.S.A.ワインアドバイザーコンクール優勝
2018年 第2回ボルドー&ボルドー・スーペリュール・コンクール3位
2019年 第1回SAKE Diploma コンクール セミファイナリスト
2020年 第9回全日本ソムリエコンクール セミファイナリスト
2021年 第1回ルイナール・ソムリエ・チャレンジ3位
かつては大手ワイン専門輸入商社に勤務し、世界中のワインに触れた。退社後渡米し、カリフォルニアでのワイン修行を経て帰国。
現在はワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」や企業研修にて、ワインの魅力を伝える活動を積極的に展開している。入門者を楽しませ、上級者をうならせる明快で密度の高いレッスンには、グローバルに学んだ本物の知識・技能がふんだんに生かされている。
『エノテカ・オンライン』にて執筆するほか、ワイン専門誌『Wine-What!?』ではテイスターとしても活躍している。その他、一般誌への執筆・監修・取材協力(『Oggi』、『美Story』、『ワインT-BOOK』、『ワイン基礎用語集』など)、テレビ出演など幅広く活動。
英米の難関試験(上述)を日本人として最年少で合格した、ワイン資格取得のプロ。その他の保有資格、称号として、CIVB公認ボルドーワイン講師、Konrado/Salvanoのブランドアンバサダーなど。
私が就職活動をしたのは「超氷河期」と呼ばれるような時代です。大学卒であってもフリーターになったり就職浪人するのは珍しくないことでした。幸運にも書類選考で落とされることは一度もありませんでしたが、最終面接で男子学生に席を奪われる形でいつも不採用となり、過去に経験したことのない絶望と挫折感を味わいました。結局、内定がとれたのは1社だけ。当時はITバブルで求人が多かったSEとしての採用でした。自分のやりたいことが分からないまま、社会に押し出されたというのが本音です。
就職してからは終わりのないプログラミング作業で毎日終電。システムの切り替えのために夜勤もよくありました。「石の上に三年」とも言いますから、情報処理の資格を取得しSEとして少しずつ頑張ろうとしていた矢先のことでした。通勤中の電車の中、過労で倒れてしまったのです。このことをきっかけに、終わることのない残業に終止符を打ち、わずか一年で退職することとなったのです。
転職雑誌をパラパラめくりながら、ワイン専門商社の募集に目が留まりました。その頃は、ワインブームの余韻に日本中が浸っていた時代です。背景には1995年に田崎真也さんが世界ソムリエコンクールで優勝、2000年に石田博さんが三位入賞、加えてポリフェノールブームの中で赤ワインが注目されていました。「お酒はたくさん飲まないけど、ワインだったら好きだな」そんな気軽な理由で履歴書を送ったのです。今でも忘れられないのは、面接で「どんなワインが好きですか」と質問され「赤ワインが好きです」と答えたことです。今思えば赤面したくなるような回答です。しかし運がよくとんとん拍子で転職が決まったのです。
入社してすぐの頃、一番困ったのが電話対応です。聞き慣れないワインが矢継ぎ早に注文されるので、まるで呪文のようで苦しめられました。そのような中、転機になったのがソムリエ試験(当時は「ワインアドバイザー」と呼ばれていました)です。全員取得と義務とされていたので、仕事の一環としてスタートした勉強でした。しかし、いったん学び始めると楽しくなってしまったのです。これまで呪文だったワインがどういうものなのか分かるようになったこと、何よりもワインが歴史、哲学、化学、植物学、聖書などありとあらゆる側面を含む神秘に満ちた酒であるということを理解したからです。資格取得時には「ワインの世界の俯瞰図を手に入れた」そんな自信がつきました。その頃にはすっかりワインの魅力に取りつかれ、すぐにフランスの旅へ飛び立ったくらいです。
ソムリエ合格後、ものすごい飢え渇きを覚えました。「もっと学びたい」「もっとワインの本質に迫りたい」という枯渇感です。就職活動での挫折感が自分の中で燻っていて、それに火が付いたということもあったかもしれません。米国ワインエデュケーター協会、WSET®Level3と受けられるワインの試験に次々と挑戦し合格しました。いつしか最難関の資格WSET®Diploma(Level4)にも挑戦しようと思いました。この資格を取得するには最低二年間はかかり、六つの試験に全て合格しなければなりません。試験は英語の論述方式で行われます。当時は資格保有者が日本で七人。勉強方も確立されておらず、合格への道はまさに「いばらの道」でした。それでも、私にとっては挑戦し甲斐のある資格のように輝いて見えたのです。この資格試験にとりかかったのは二十八歳のことでした。
渡米を決めたのは、前述の試験では英語の論述が求められたからです。今となってはその決断に自分でも驚きますが、当時は退職し一定の収入が入らなくなることに関して、怖いと思うことが全くなかったのです。むしろ現地で学べるワクワク感のほうが圧倒的に強かったのです。アメリカでは語学学校に通い、ネイティブからエッセイの指導を受けました。試験に関して大きなアドバンテージになったことは間違いありません。
Diplomaを受験していた時は一日十~十五時間の勉強は当たり前、部屋の壁には暗記したいことリストを一面に貼っていました。特にワインの試飲にはお金がかかります。一つの試験に関して十万円内に収まったら安いと思える位です。減りゆく通帳残高に焦りを感じながらも、ひたすら「合格」を信じて走り抜けました。その甲斐あり日本人とし九人目最年少で合格することが出来のです。
アカデミー・デュ・ヴァンの講師として働き始めたのは2008年のことでした。有難いことに難関試験やコンクールに挑戦していた姿を評価して声を掛けてくださった方がいたのです。しかし、講師になった初年度、私のクラスへのお申し込みは三名でした。このことは「自分は少しずつワイン業界で知られるような存在になったんだ」という勝手な思い上がりを打ち砕くこととなりました。同時に、新米講師にもかかわらず、選んでくださった受講生に感謝が溢れました。私は受講生一人一人に話しかけること、お名前とお顔を覚えることをモットーとしていますが、この決意は初年度のこの経験に由来しているのです。
徐々に受講生のお申し込みも増え、2009年に担当したソムリエ試験対策クラスでは感謝なことに満席を頂けるようになりました。自分の講師生活で基盤となったと確信したことが二つあります。ひとつはワイン講師専門の世界的トレーニングを受けるために香港に渡ったこと、そしてもうひとつは山崎和夫先生との出会いです。現在、山崎先生はアカデミー・デュ・ヴァンをご退職されていますが、在籍中は名実ともにエースとして講師陣を牽引していたのです。山崎先生の素晴らしいところは、深い教養に根差した正統派スピーチをされること、そして時おり見せられるユーモアです。そのような先生から直接アドバイスやご意見いただけたことは、自分にとって現在も大きなアドバンテージになっていること間違いありません。
ワイン講師になってから猛烈に働きました。休みなく十六日間出勤なんてこともよくありました。「好き」を仕事にしているからこそ、プライベートとの境界線が引きづらかったというのが最大の原因です。天職が見つかったという喜びもありましたが、一方で頭をよぎったのは「このままでいいのかな」という悶々とした感情で、三十四歳になったことろから特にその思いが強まりました。ラッキーなことにその二年後に教会で知り合った主人と結婚する運びになったのです。何事も順風満帆に進んでいると思えた結婚式の十日前、突然、父が脳出血で倒れて意識不明の状態になったのです。そこから父は二年間闘病生活を続けることとなったのですが、新婚生活と父の病気が同時並行で起きたのは今の自分にとって大きな学びとなっています。
2016年、私はワインアドバイザーコンクールに出場することに決めました。ワインアドバイザーという呼称がソムリエに合併され、これが最後のコンクールになること、ソムリエ試験に臨む受講生の励みになればいいなという思いがきっかけでした。コンクール準備を始めるにあたって決めておいたことは、「父の様態が急変、もしくは主人に迷惑をかけるような状況になったらコンクールを諦める」ということです。独身時代と比べて格段に大変だったのが、勉強時間の確保です。この時、取り入れたのが朝五時半起床と移動時間の勉強でした。この「時間が限られている」という思いが集中力を生んだのでしょうか、主人の応援も受けつつ、なんとか優勝し女性初の日本チャンピオンになることができたのです。
コンクールで優勝した半年後、父は他界しました。最後に父に良い報告ができたことは嬉しかったのですが、その後一年間は何をやっても元気が出ず、気持ちが塞ぎ込んだままでした。そんな中、支えになったのが主人の励ましです。こうして、新たにコンクールや試験に挑戦しようと準備できるのは主人の存在なしにはあり得ません。また昔と比べると明らかに変わったのは、「For Me(自分のためにやる)」ではなく、「For You(誰かの役に立つためにやりたい)」という気持ちが芽生えたことです。結婚、そして父が生死をさまよう経験をしたあたりから価値観が変わったように思います。 例えば、2018年三位に入賞したボルドーワインコンクールでは、ボルドーワインの魅力を伝え生産者の役に立ちたい、受験クラスの受講生に励ましを送りたいという気持ちで取り組みました。この思いは、講師として受講生に接するときも、ひとりの受験生として新しい試験に挑戦するときも、これからずっと大切にし続けたいと思います。